「いつも自分だけ責める人」の心理と責めるのをやめる方法

自分を責める人のをやめるには コラム

「いつも自分だけ責める人」ってどんな心理なのか、やめるにはどうすればいいのか、スキーマ療法である程度の道筋が見えてきたものの、他の心理学の本ではどのように言われてるのか気になり、加藤諦三先生の「いつも『自分』だけを責める人」を読んでみました。スキーマ療法及び自分の体験に照らし合わせながらなるほどーと思ったポイントなどを紹介します。

 

いつも自分だけ責める人は「責められる」という妄想に取りつかれている。

まず加藤先生は被害妄想からヒントを得て作った、「被責妄想」という言葉を紹介しています。「被責妄想」とは

責められていないのに責められているように思うこと。

ということだそうです。被害妄想が自分に被害を及ぼすのではと自意識過剰になるのであれば、被責妄想は、自分が責められてるのではと自意識過剰になることのようです。

確かに言い得て妙だなと思いました。

言った側は別に責めてる気がないのに、被責妄想癖がある人はそれを責めてると思って受け止める。本書に出てくる例を紹介しますと、

奥さんから「隣の家のご主人コンピューターに詳しいんですって」と言われると、ご主人は「だからあなたはダメなのよ」と受け取ってしまう。

というように、相手の言うことを「自分が責めている」という前提に置き換えて解釈してしまう、そういった人を被責妄想を持ってる人と考えているようです。ではそのような人とはどういった心理でそうなってしまうのでしょうか。

自分を責める人の心理

自分を責める人の心理とは?

小さい頃何をしても責められたから

本文では「被責妄想の人は小さい頃何をしても責められた」ということがでてきます。

確かに、自分の傷つき体験(心に傷を負った体験)を思い返してみると、「責められた」というような思い出が蘇ってきます。

私の場合は、勉強をしてもしても模試の成績が上がらず、悔しくて辛かった時、父親から「こんなんで受かるのか」と言われた体験。(他にも似たような体験がいくつかあったと思います)

被責妄想の人は小さい頃から今まで精一杯努力してきた。それなのにその努力をあれも認めてくれなかった。それどころか責められた。

まさに仰る通りです!!結局その模試での成績も上がらず、志望校にも合格できなかったので、努力が認められることがありませんでした。。

小さい頃からいつも理想を基準にして責められ、批判されていれば、理想の基準は内面化される。そうなれば、生涯にわたって理想を基準にして自分で自分を責めるようになる。

これは本当に自分自身に当てはまるなーと思います(><)いつも高い基準を掲げてその目標に向かって努力する。聞こえはいいのですが、やってる方としてはどれだけ頑張っても「基準点」に到達されないので辛いのです。。

そしてその基準点に到達できない自分を自らまた責める、という負のループ。。「甘えるな」と自分に言い聞かせてさらに追い打ちを自らかけていくわけです。自分どんだけMよって話ですが。。

「責められている」という感情は、大人になって社会人になってからも、上司との面談をする時にも感じました。その当時私がやりたいことと会社が私に望んでいることと乖離があり(それはとてもよくある話だと思いますが)、もちろん人事面談で「私は○○がやりたい」とはっきり伝えればいいのですが、なぜか会社の意向に沿わずに自分がやりたいことを率直に言うというのが、怖くて怖くて、ものすごく抵抗がありました。

実際にその面談をどうにかして避けたくて、上司から「面談しよう」と声をかけられてもさけたくて気のない返事をしてしまい、逆に「聞いてるのか!」と怒られたりもしました。

今思うと、あれは「責められるのが」怖かったんだと思います。

昔支配的な親との間で味わった不快感情を、大人になって身近な人を通して再体験している。

結局はそういうことなんだと思います。その上司との面談の時にも、上司が責めてるわけでもないにも関わらず、ただ自分がやりたいことを率直に伝えるのにもすごく抵抗感があったのは、親との間で味わった不快感情を追体験してたんだなと感じます。

自分を責めないようにするために

自分を責めるのを治すには?

相手に関心を持つ

この自分を責めるのを治すためには「相手を理解すること」ということが述べられています。

被責妄想の人はいつも自分に囚われ、相手を理解しようという心がない。相手に関心があれば、相手が今自分を責めているか責めていないかが分かる。

確かに、常に「責められるんじゃないか」と思いながら相手の話を聞いていると、意識は常に自分に向かっていますね。相手を理解しようとする姿勢に欠けているかもしれません。

ただその半ば脅迫観念的な「責められるんじゃないか」というところから一歩引いて相手へ関心を向けようとするためには、「あ、今自分は責められてると感じてる」とマインドフルネスに感じようとする姿勢が必要だと、自分の体験からは感じます。

いくら「他人に関心持たないと!!!」と思っていても、そうそう簡単にはできないのでは。「あ、責められてると感じてる。まずはそれをマインドフルに受け止めよう。そしてできたら相手が本当に何を意図して言っているのか注意深く聞いてみよう」という感じで「責められてる」トラップにかかってる自分から上手く抜け出せるのではと思います。

この「マインドフルネスに自分の今感じてる感情を感じてみる」というのは、スキーマ療法で「スキーマをマインドフルにモニタリングする」ワークをやっていくうちに段々とできるようになってきました。

「責められている」という解釈を改めること

「責められている」という解釈を改めること。

被責妄想の人は何事についても恣意的解釈をする。例えば非難されているという証拠はなにもないのに、勝手に非難されていると解釈する。小さい頃からの体験で、そう解釈する。(中略)だから被責妄想の人はまず解釈を治す必要がある。

この「解釈を改める」というところは、認知行動療法で言う「自動思考に気づき改める」ことと通じるものがあると思います。自動思考とは、何かストレスがかかる状況の時につい思ってしまう「思考の癖」とも言えるものですが、まずは自分がいつもどう「自動的に」感じ、考えてしまうのか、それに気づくところから始まります。

それに関しては、「いやな気分よ、さようなら」で行ったカラム法が私の場合はしっくり来ました。ノートに真ん中に一本線を引いて、左側に自動思考を、右側にその自動思考のどこがおかしいのか、客観的に見ておかしいところを指摘して正していくのですが、それによって自分の思考の癖に気づくことができました。

もしかすると、昼間味わった不愉快な感情は小さい頃からの感情を再体験しているに過ぎなかったかもしれないと、振り返ること。

そうですね、本当はその通りなのですが、なかなかその場ではそう思って実行するのは大変だと思います。後でもいいから、「あの感情はただ再体験で感じてるだけだ」と振り返ってみることで気づくこともできると思います。

昔の不快な感情の再体験をやめると決心する

解釈を正したら、次に「子どもの時から受け継いだ不快な感情の再体験をやめると決心する」ことが解決法として書かれています。

今の不愉快な感情は昔の不快な感情の再体験である(と認識し、)それをやめると決心することである。現実に即して感じようと決心することである。

これによって感情的わだかまりが消去できると述べています。

ただ、「決心する」というと、行動というよりかは意識の問題にしてしまっているので、これだけではなかなか実行は難しいのではとここでは感じました。

ここに関しては、「決心」だけではなかなか解決しづらかったのが、スキーマ療法の手法を学ぶことによってかなり実践的に「どうすればいいか」が分かりました。行動レベルでどう対処すればいいのか、日常的に何をすればいいか、というのがスキーマ療法で得られのは大きかったです。

「何度も」決心して新しいニューロンのネットワークの回路を作る。

小さい頃に植え付けられた恐怖感というのは、脳科学的に言うと「扁桃核」というところに保存されてしまっているようです。

小さい頃の意識された記憶はなくても虐待等は扁桃核には記憶されている。扁桃核には恐怖の感情的記憶がある。(中略) だからこの扁桃核のシステムを前頭葉の働きで、変える努力が必要である。繰り返し、繰り返し努力するしかない。

だからこそ、先ほどの「不快な感情の再体験をやめると決心する」ことを、何度も行うことが述べられています。

脳に新しい神経の回路を作ることである。脳のリハビリと思えばよい。何度も、何度も繰り返すことで新しい回路ができる。

この何度も繰り返す、というところにはスキーマ療法にも通じるところがあって共感しました。スキーマ療法ですと、ハッピースキーマ(自分を生きやすくしてくれる望ましいイメージ)を身につける(内在化する)ために、日常のモードワークや、ハッピースキーマに基づいた行動、その行動をしてどうだったかを日記に書いていくわけです。

そうやって少しずつ少しずつ染み込ませるようにやっていくことで、過去の傷つき体験によって刻まれた自分を生きにくくする「スキーマ(考え・イメージの集合)」を手放して新しい生きやすいスキーマを手に入れられるのだと思います。

確かにそれは脳科学的に見れば、新しい神経回路を作ることにもなるのかもしれません。

最後に、

被責妄想の人が、相手の言うことに対して「自分は責められていない」と感じ「どうしようか?」と相手に効くような会話ができるようになることはもの凄いことである。つまり自分の反応の仕方を変えたのである。それは仕事で言えば会社の大きなプロジェクトなし終えたということよりもエネルギーのいることである。(中略)小さい頃学習したことを自分から抜け出したのである。

スキーマ療法でもワークブックによると、完全に治るまでに2年から3年かかるということなので、小さい頃からの生きづらさを変えていくにはそれ相応のエネルギーが必要みたいです。

全体的に散文的な感じでまとまりがなく、エッセイのような体裁の本でしたが、それでもところどころうなづけるところはありました。ただ具体的な解決方法に関しては薄いという印象で、スキーマ療法のワークブックの方が実践的で抱えている問題に対してより直接的に解決に結びつく行動が取れるとも感じました。(スキーマ療法持ち上げ過ぎですかね!?(^^;) )

この記事が何かしら「自分をどうしても責めてしまう/責められていると感じてしまう」人の助けになればと思います。

コメント